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「私は、もっと私の歌声を届けたい。だから目指すの、アイドルとしての高みを」
夕焼けを背に、透き通った声ではっきりと宣言した彼女の姿はとても儚げで。
だから私は、彼女を傷つけないようにそっと抱きしめた。
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如月千早という女の子を初めて見たときに受けた印象は、ガラス細工みたいと言うものだった。
私、天海春香より少し遅れて765プロダクションにアイドル候補生として入所した千早ちゃんは、
どことなく冷たくて、そして繊細な印象を抱かせる様なところがあった。
全てを見透かしてしまいそうな切れ長の瞳に、枝毛一つなさそうなつややかな黒髪。
ファッションモデルを思わせるしなやかな体つき。
容姿の繊細さに加えて、入所したての頃の千早ちゃんは、どことなく人を遠ざけるものがあった。
それでも仲良くなりたいと私はアプローチを掛け、根負けしたのか千早ちゃんは私と会話をするようになった。
そんな事を重ねていくうちに、私たちは二人の時間を過ごすことが多くなっていた。
私たちの距離を知ってか、それとも単純にイメージの問題か。
私と千早ちゃんは、デュオユニット「AIEN」としてデビューすることになった。
そして番組出演を賭けた、初めてのオーディションで、私たちはトップで出演枠を射止めることが出来たのだった。
*
オーディションを終え、事務所へ戻ってからの事。私と千早ちゃんは、屋上に上り、
夕日に照らされた町並みを眺めながら、近づいてくる夜の気配をはらんだ街の風にあたっていた。
オーディションを控えたときの緊張とか、結果を聞いたときの胸の高鳴りとか。
いろいろな思いがない交ぜになって熱を持った体を冷やしたくて、私は屋上へ向かう階段を上った。
千早ちゃんも同じ事を思っていたみたいで、私について屋上に向かったのだ。
フェンス越しに赤く染まった町並みを眺める。春も半ばになった季節だけど、夕方の空気は涼やかで。
上気した頬を撫でては、その熱を奪っていってくれた。
「オーディションに合格したの、夢じゃないんだよね」
肩を並べて町並みを見下ろす千早ちゃんに私は語りかける。
「あら、春香は合格出来るって信じてなかったの?」
こちらに向き直らずに、千早ちゃんは答える。ちょっと聞いたら悪意があるように思えるかも知れないけれど、私は
千早ちゃんがそういう意味で言わない事を知っている。
「うーん、合格したいなとは思っていたけど。初めてのオーディションでしょ、もっと凄い人が出てきたらどうしよう、って思っていたし。
それに、トップ合格というのもいまいち実感が沸かないと言うか」
「馬鹿ね、まだデビューしたてのアイドル達を集めてのオーディションなんだから、とんでも無い人が出てくるなんてそうは無いわ。
それに、レッスンの結果は自分を裏切らないって知っているでしょう?」
千早ちゃんの口元には笑顔が浮かんでいる。子供の時に幾つも賞を取っていると言うだけあって、千早ちゃんの歌はびっくりするくらい上手かったけれど、
足を引っ張らないようにってレッスンを重ねてきた。私の努力が認められたみたいで嬉しい。
「本当に、アイドルとしてテレビに出られるんだよね。もう肩書きだけのアイドルじゃなくて、本当のアイドルになるんだね」
「そうよ。でも」
千早ちゃんは、フェンスから離れて私の方へ向き直った。
「まだスタートラインに立ったばかり。ここからが本番なんだから」
私を見据える千早ちゃんの瞳には、強い光。
私は、千早ちゃんがどうして歌にこだわり続けるかを知らない。でも、いつからか
その目標へたどり着く支えになりたい、って思うようになっていた。
「春香、デビューする前にあなたに言った事があるわよね。私は歌で認められたいって。アイドルはそのための手段に過ぎないの。
多くの人たちに私の歌声を聞いて貰うために、アイドルをするのよ」
ただ頷くだけの私に、千早ちゃんは畳みかけるように話す。
「私は、もっと私の歌声を届けたい。だから目指すの、アイドルとしての高みを」
夕焼けを背に、透き通った声ではっきりと宣言した彼女の姿はとても儚げで。
だから私は、彼女を傷つけないようにそっと抱きしめた。
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「は、春香っ、どうしたの」
顔は見えないけれど、千早ちゃんの声は震えている。緊張しているのかな、それとも怒っているのかな。
「千早ちゃん」
抱きしめた手を緩めないままで、私は千早ちゃんに語りかける。
「私は、千早ちゃんの目指すところへ一緒に行きたい。私は、千早ちゃんほど歌が上手い訳じゃないけど、精一杯に努力するから。
千早ちゃんが苦手なところは、私が頑張ってフォローするから」
なんだろう、恋人に告白するみたいで凄く恥ずかしい。言ってから、せっかく冷めたはずの顔が耳まで熱くなるのが分かる。
ぎゅっ、と抱き返される感触。私が千早ちゃんの体を抱きしめたように、千早ちゃんも私の事を抱きしめてくれたのだ。
「ありがとう、春香」
耳打ちされた千早ちゃんの言葉は優しくて。
この思いを間違えにしちゃいけないって、私は強く思ったのだ。
(了)
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