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「全く、いくら箱に詰めても終わる気がしない……」
目の前にうず高く積まれた段ボール箱を見やって、俺は小さく愚痴をこぼした。
「もぅ、忙しさにかまけて普段の整理整頓を怠っているから、いざという時に大変になるのですよ」
俺の隣で荷造りの手を休めず動かしながら、涼しげな顔で小鳥さんは言う。
小鳥さんの言葉がつくづく尤もだったから。
俺はうめき声を上げながらまとめかけの荷物に顔を突っ込んだのだった。
「ふふ、冗談ですよ。お仕事が忙しいのはだれよりも知っている積りですし、苦労は互いに分かち合わないとですよね、
ねぇ、あなた」
小鳥さんの声はちょっと悪戯っぽく、それでいていつもと変わらぬ温かさをたたえたものだった。
* * *
Song for you
* * *
俺が担当アイドルのプロデュースを成功裏のうちに終え、暫しの休暇を与えられた頃。
俺は、音無小鳥さんに結婚を前提とした交際を申し込んだ。
アイドルのプロデュース活動中から、お互いの事を憎からず思っていたのは知っていたし、
恋愛関係とは言わずも、気心の知れた仲間として親密な付き合いをしていた。
恋愛関係に至らなかった理由は二つ。アイドルの前で恋愛を意識させるような事は避けたかった事と、
俺自身の多忙さに依るものだ。
障害が無くなったと言う事も手伝ってかあれよあれよと言う間に二人の関係は深まっていき、
交際から数カ月も経たずに婚約、そして二人の新しい門出の為に、
新居への引っ越しの手はずを行い今に至る、と言う訳だ。
話は変わるが、芸能界に於いて恋愛関係は読者の興味を惹くものとして大きく扱われる傾向がある。
それはアイドルとして活動する人間に留まらない。プロデューサー、テレビ局のディレクターなど、
蔭で芸能界を支える人間もその例には漏れない。
いかに恋愛関係で浮名を流したか、という点を自身のステイタスと考える向きもある。
事実、自身が芸能誌の紙面を賑やかせている居る事を誇りとしている同業者もいた。
その中で、俺と小鳥さんとの結婚の扱いは非常に慎ましやかなものだった。
零細プロダクションから多くの実力派アイドルを輩出したプロデューサー、その結婚は大々的に扱われるのが
習わしではあるものの、
結婚した相手が一般人、しかも同じプロダクションで働く女性と知れると、どの芸能誌も話題性なしと見てか、
紙面での扱いはベタ記事で、深く詮索を入れられる事も無かった。
俺は、むしろその事を好ましく思った。
俺と小鳥さんとの新しい生活が、誰にも騒がれる事なく、静かに迎えられるものだと確信したからだ。
* * *
「……プロデューサーさん、じゃなかった、あなた。休憩も大事ですけれど休んでばかりじゃいつまでも終わりませんよ?」
小鳥さんの呼びかけに、明後日の方向を漂っていた俺の思考は現実に引き戻された。
「ご、ごめんなさい小鳥さん。あとどれくらい荷造りしていないものは残っている?」
俺の返答に機嫌を損ねたのか、ぷぅ、と頬を膨らませて小鳥さんは言う。
「あなたがぼぉっとしているうちにあらかた済ませてしまいましたよ。それとですね……」
びしっと人差し指を俺の鼻先に突き立てて、
「小鳥さん、とか敬語で話すとか、止める約束だったじゃないですか。私たち結婚したんですからいつまでもよそよそしい関係ではいられませんよ」
小鳥さんは噛みついてきた。
ちょっと腹にすえかねた訳ではないけれど。小鳥さんの言い分があんまりなので思わず反論してしまう。
「そう言う小鳥さ……小鳥だって、俺のことを名前でも呼び捨てでもなくて、『プロデューサーさん』って呼んだじゃないですか。
お互い様ですよ」
俺の指摘にうっ、と言葉を詰まらせて真っ赤になって俯いてしまった小鳥さん。その姿にちょっと胸が痛くなって、
「ごめん、少し言い過ぎたよ。慣れていないのは二人ともなんだから、徐々に自然に振る舞えるようになれば良いよ」
俺は小鳥さんを抱きしめた。小鳥さんは素直に俺の腕の中に納まると、はにかんだ笑顔を返してくれた。
俺より年上なはずなのに、無垢な少女の様に顔をほころばせる小鳥さんを見て、
この人を好きになって、生涯の伴侶として選んで良かったと心から思ったのだ。
と、いつまでもこうしちゃいられない。引っ越しの準備に戻らなければ。
少し名残惜しくはあったものの、俺は小鳥さんを抱きしめていた腕をほどくと立ち上がり、奥の部屋へと足を向ける。
「あ……あれ、もうおしまいですか?」
物欲しそうな眼をして、尋ねてくる小鳥さん。今すぐにでも踵を返して抱きしめてしまいたくなるが、今は我慢だ。
「荷造りの続きをしなきゃならないしね」
「それでしたら、奥の部屋はもう必要ないかと思いますよ。残っているのは大きな荷物だけですし、残りは引っ越し業者さんにお願いした方が」
小鳥さんの言葉はつくづくもっともなのだが、俺は答えずに歩を進めた。
仕事詰めの毎日だった俺が相棒としていた部屋がどう変わったかが見たかったからであって、
決して小鳥さんの体に溺れそうになったのが恥ずかしかったからではない、と主張しておく。
「奥の部屋は必要ないかと思いますよ」と言う小鳥さんの言葉が間違っていない事は、部屋に入ってから容易に知ることが出来た。
机の上にうず高く積まれ、あるいはキャビネットに納まりきらないほどになっていた資料はきれいさっぱりと無くなっていて、
がらんどうの中身をさらしているだけだった。
その代わりに存在したのが、かつてはそこに存在した資料を納めたと思われる段ボールの山。
小鳥さんの可愛らしい筆致で、資料の年代から担当アイドル、曲調に至るまでが箱の上に記されている。
彼女らしい丁寧さに、思わず笑みが零れてくるのが分かった。
部屋をぐるりと見渡すと、資料だけではなく小物類なども箱詰めが済まされていて、
配線を取りはらわれたパソコンや家電類と、キャビネットや作業机と言った大型家具が運び出されるのを待つばかりとなっていた。
俺の多忙(と言っても転居にあてがう時間は事務所から与えられていたのでどちらかと言えば怠慢かもしれない)を埋め合わせるかのように
荷造りを行ってくれた小鳥さんへの感謝の気持ちを新たにしていたところで、ふと目に飛び込んできたものがあった。
フルサイズの鍵盤にスピーカーの付いた、電子キーボードだ。
俺の所属している事務所……765プロダクションでは、楽曲の作成を懇意にしている作曲家に依頼するのがほとんどである。
だと言うのに小鳥さんと来たら、
「音楽の正しい知識が無ければ、アイドルの女の子達に本当に合う様な依頼は出来ませんよ」なんて力説して。
結局小鳥さんの言葉に負けた俺は初任給の雀の涙から必死にやり繰りをして、この電子キーボードを購入したのだ。
それから小鳥さんとマンツーマンで楽譜の読み方から楽曲の構成までを、こいつを使って勉強したのだ。
ある意味で、今の小鳥さんと俺との関係を取り持ってくれた存在とも言えるだろう。
「プロデューサーさん、何を見ているんですか?」
背中越しから小鳥さんの声が掛る。戻って来るのが遅かったので、心配してきたのだろう。
「俺たちの縁結びの神様、ってやつを見ていたのさ」
俺の言葉をすぐに理解した小鳥さんは肩越しにキーボードを見ると、頬をほころばせた。
「本当に……。あの時、一緒に音楽の勉強をしましょうなんて言い出さなければ、あるいは私たちの関係も違ったものになっていたかもしれませんね」
「そうだね、小鳥さん……。あ、そうだ」
俺の言葉にきょとんとした顔をする小鳥さん。
「折角だし一曲弾きましょうか。楽器も演奏してやった方が喜ぶでしょうし。小鳥さん、一緒に歌ってくれますか?」
小鳥さんは力強く頷いてくれた。
コンセントをプラグにさして、キーボードの電源を入れる。インジケータが発光し、まだ生きている事を教えてくれた。
(まぁ、そうすぐに腐って駄目になるものじゃないよな。乱暴に扱った訳じゃないし。問題は……)
暫く楽器から離れていて、自分自身の腕が腐っているかと言う事なのだが。
おずおずと鍵盤に指を伸ばし、叩いてみる。力加減に合わせて、音源として指定したピアノの音が響いた。
続いて指を動かしていく。三和音、分散和音、ベース音に即興に合わせたメロディを、時には強く、時には弱く。
俺の指使いに応えるかのように、キーボードは音を紡ぎだしてくれた。
これでキーボードが腐って無く、しっかりと使えるものだと言う事がわかった。自分の指が、不器用ながらまだ動いてくれる事も。
「準備、できましたか?」
俺の顔を覗き込んで尋ねてくる小鳥さんに、
「えぇ、なんとかね」
苦笑い交じりで応えて見せた。
「じゃあ、行きますよ。演奏するのはあの曲です」
そう告げてから、深呼吸を一つ。一呼吸を置いてから、俺は鍵盤をたたいた。
あの曲、で小鳥さんは理解してくれるだろう。
俺が初めて小鳥さんのために書き下ろした曲。
電子キーボードが奏でるメロディに合わせて、小鳥さんは歌を紡ぐ。
彼女の歌声は俺の下手糞な演奏を補って余りある、素晴らしいものだった。
その声はどこまでも甘やかで、優しく、伸びやかで。
彼女の歌声は天使の歌声だと、思いを強くするのだった。
演奏が終わると、小鳥さんは一つ大きく息をついて、体に入っていた力を抜いた。
俺は立ち上がると、彼女の額にうっすらと浮いた汗を拭った。
「やっぱり小鳥さん、歌がお上手ですね。ステージに立ってみる積り、ありませんか?
他の人にその歌声を届けられないのは、勿体ないですよ」
まだここまで親密になる前にもした事がある問い。かつて、高木社長がして見せたものと同じ問いを、彼女に投げかけた。
「ごめんなさい、プロデューサーさん。私にはその資格はありません」
困ったような笑顔で答える小鳥さん。舞台に立つことを拒む答えであることには変わりはないものの、
その答えは以前の答えとは違っている。
はて、『アイドルになる資格が無い』とはどういうことだろうか。
俺の頭に生まれた疑問に答えるかのように、彼女は続ける。
「それにこれからは、私の歌を聴いてくれる人が身近にいますから」
そう言って、小鳥さんは自分のお腹を撫でて見せた。
「って、えぇええええええええええええええええええええ!?」
彼女の言葉と仕草の意味が正しく頭の中で繋がって、思わず俺は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「それって、つまり、えーと……」
出来ちゃった、って事だよな。
「……そう言う事になります」
俯いて耳まで真っ赤にしながら答える小鳥さん。
「いつの話になります、それ」
もじもじと指を合わせながら、
「二ヶ月くらい……前の、ことです」
途切れ途切れに話してくれた。
俺たちにとって二か月前と言うのは。
お役所に婚姻の書類を提出し、晴れて夫婦となって。
まだ肌を重ねて日も浅い二人が、不器用ながらに互いを求めて。
生身のままで愛し合った、初めての時だったと記憶している。
(えーとつまり、と言う事は……)
初めて生で致した事が、見事に大当たりしてしまったと言う事になる訳か。とんだ偶然もあったものだ。
「全く、もう少しだけ二人だけの時間が欲しかったんだけどな……」
そう言って俺はあは、あははと恥ずかしげに笑う小鳥さんを抱きしめると、
「生まれてくる子の為に、幸せな家庭をつくろうな」と耳打ちした。
きょとん、としながら俺の言葉を聞いていた小鳥さんの目に涙が浮かんでくるのにはそう時間はかからなかった。
「はい……はいっ!」
涙で顔をくしゃくしゃにして泣き笑いで答える小鳥さんに、呟く。
「もっと歌声を聞かせてよ、小鳥さん。生まれてくる子へ送るために。俺ももっと音楽に触れる機会、増やすから」
すっかり涙でぐしゃぐしゃになってしまった彼女が愛おしくて。
俺は彼女を、一層強く抱きしめたのだった。
(了)