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人生の落伍者が酒に塗れながらくだらない事を書き連ねます
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(2010/09/19)


さて、すっかりアイマス民な感じとなってしまった一条です。
TGSにて、アイマス2ndの仕様が出揃って、各所で悲喜交々なやり取りが
(どちらかと言うと悲観的な見方の方が強いかも知れませんが)なされていますね。

私は、アイマスファンとしては、2007年に楽曲から入り、続いてAC、SPを経て
XBOX版へと至った新参のプロデューサーではあります。
正直、稼働当初からコミュニティを守り続けて来た人達の努力も、直に触れて
知るものではありません。

とは言え、アイドルマスターSP以降の展開に、それ以前のアイドルマスターの持つ世界観に
魅かれた身としては多くの疑問を持つ訳でして、これを機に自信の思考を整理するためにも
筆をとってみたいと思い、この記事をしたためました。

 


「観覧車」の比喩と、一回限りのプロデュース

私がアイマスに作品としてどっぷりとつかる以前の話。アーケード版アイドルマスターが、
その必要とする費用に多数の脱落者を生みながらもコアなユーザーの繋がりによってなんとか
命脈を保っていた時代の話です。
とある大手ニュースサイト(そこがどこであるかは失念してしまいました)の管理人氏もアイドルマスターに嵌ったらしく、
その魅力を雑記に度々乗せると言った、そんな時期があったのですが、その中で管理人氏はアイドルマスターと言う作品を、
「観覧車を楽しむ様なものだ」と言って見せた事が、今でも印象に残っています。
実際にアイドルマスターをプレイして、細かい部分ではその喩えには間違った部分がある事を認めつつも、
(ランクアップが出来なければ強制的にゲームオーバー=観覧車から途中で引きずり降ろされるようなもの)
アイドルマスターと言う作品の面白さを端的に表現したものだと感じるようになりました。
観覧車と言うものは、ある一定の箇所を一周してそれでお終いと、はたから見ればそう言った娯楽と受け止められます。
しかし、観覧車の中から見る者としては、その日の天候であったり、同伴者であったり、あるいは時間帯の違いや季節の違いと言った
些細な変化からでも、窓越しに見える景色は変わってきます。つまり、同じ観覧車に乗ったとしても見える景色はその度ごとに違ったものとなるのです。
アーケード版のアイドルマスターにも同種の楽しみを見出す事が出来るでしょう。4年余りと言う長い運営を経て、ある程度のパターン化と言うものはなされたものの、
常勝理論と言うものは存在しない、場合によっては自分より低レベルの相手にすら破れる可能性をはらんだゲームでありました。
それに加えて、数多く存在するコミュニケーションの存在。
コミュの数が有限である以上、確かに無限とまでは言えないものの膨大な組み合わせが選びうるコミュニケーション、その存在が一本道とは言えないオーディションと相まって
アイドルのプロデュースを、「一回限りの存在でありながら、他の経験とも比べることのできないもの」へと引き上げていたものだと思います。
言い換えてみれば、一周のプロデュース毎に毎回違ったアイドルと出会う事になる、と言う事です。
リセットが可能になった事により、その性格は薄れたものの、アーケードの移植であったXBOX版アイドルマスターまではなお、
「プレイするごとに違う顔を見せるゲーム性」と言うものを保持していたものであったと思います。



『アイドルプロデュースゲーム』としてのリアリティ


アイドルマスターと言うゲームに特別性を与えていたのは上述の「一回限り」の性質だけではありません。
アイドルマスターと言うゲームが持っていたある種の「リアリティ」がその価値を高めていたのでは、と考えます。
アイドルマスターと言うゲームでは、「獲得したファン人数」によってランク付けがなされます。
しかし、「いかにファン人数を増やしていくか」という方法には、スコアアタックを目指すならば一定の法則がありますが、
換言すれば「スコアアタックを目指さない限りはその道筋は一様ではない」と言う事です。
Bランク以上を目指す場合、避けて通れないオーディションなどもありますが、それとは言え必ずこう受けるべしと言った
王道がある訳ではないのです
もう一点、「ファン人数と言う指標以外にはトップアイドルであることを示すものは無い」と言う点です。
現実のアイドルと言うものを振り返ってみますと、どの時代にも「トップアイドル」と言われる人物は一定数存在しましたが、
時にはファンを同じくしたり、あるいはファン同士が対立しながらも、明確にどちらが上かというものを示すものは存在しませんでした。
強いてあげるなら「アルバムをどちらがより売り上げを伸ばしたか」とか、「どれだけ番組の主演を勝ち取ったか」と言ったもの。
それすらもやもすればすぐに変動してしまう、移ろいやすい指標でした。
アイドルマスターのランキングで上位を掴むのは、より多くのファン人数を獲得したもの。それさえも、オーディションの勝敗如何では変わってしまう。
多少誇張された感はありますが、トップアイドルと言う指標が如何に曖昧としたものかを示すような、ある種のリアリティを備えていました。

アイドルアルティメットによって得たもの、失ったもの

ところが、アイドルマスターの世界観はおろか、ゲームとしての性格までもが一変するものが、SPから追加されるようになりました。
それが「アイドルアルティメット」の存在です。
トップアイドルの称号を得るためのオーディション、アイドルアルティメット。その存在によりストーリーのあり方自体がまず変わりました。
アイドルアルティメットへの勝利と言う明確な目標に向かい邁進していく。物語に明確な目標が設けられたのです。
しかし一方でアイドルアルティメットの導入は、ストーリーを一本道へとするものとなりました。
また、「アイドルと言うものに優劣をつける、明らかな指標が導入される」と言う事は、アイドルマスターと言う作品が保持していたリアリティと言うものを
損なうものだったのでは、と私は考えます。
どちらがゲームとして、物語として優れていたかは私はあえて言及しません。
ただ、オフライン化が決定されるまで、アーケード版アイドルマスターが少ないながらも熱狂的なファンに支えられた要因は、
ファンによる地道な応援活動や、アーケードと言う競争要素もさることながら、
上述の点も無視しては通れないものではないか、と言うのが私の所感です。


次回は先日公開された「アイドルマスター2」への石原プロデューサーの発言と、それに対する私の感想を綴って行きたいと思います。


 

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