[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
その日、如月千早は自身のプロデューサーや社長である高木順一朗氏からの頼みもあり、
765プロダクションが懇意としているレッスンスタジオへと足を運んだ。
今日のスタジオへの訪問は彼女自身の研鑽という意味もあったがそれだけではない。
もう一つ、千早にはある使命を帯びてこのスタジオでの練習に参加したのである。
他でもない、「トップアイドル」である如月千早自身から見て
選りすぐりの候補生の中でもひときわ輝く、いわば
「磨き甲斐のあるトップアイドルの原石」を見つけ出すことである。
業界一のお気楽ノンストレス事務所との謂れの高い765プロダクション、
当然その恩恵に預かるのは晴れてデビューしたアイドルだけでなく、
デビューを待ちわびる候補生たちもその例には漏れないのだが
悲しいかな全ての候補生たちが念願かなってアイドルになれる訳ではないのが現状である。
そういうシビアな現実があっても、あるいはかくのごとき厳然たる現実が存在するからこそ、
高木社長は候補生たちの素質をデビューして自身でも研鑽を積んだアイドルたちに確かめさせ
早熟な子、成長の遅い子と各人の成長を見極めることで
各々に見合ったプログラムを提供し、候補生であれば皆が持っているであろう
「アイドルとしてデビューしたい」と言う願いを出来うる限り叶えるように骨を折っているのであった。
さて、合同レッスンに一アイドルとしてだけではなく観察者として参加した千早ではあったが
その意識はたちどころに一人の候補生へと注がれる事となった。
170近くはあろう長身に、メリハリのあるボディライン。
腰まで伸びる、緩やかなウェーブが掛かったプラチナブロンドの髪。
技巧的な点では絶対に補えないある種の『艶』を帯びた歌声。
要素要素を切り出しただけでも耳目を集めるであろう少女の姿。
しかし千早の関心を引いたのはそれ以上に彼女が放つ雰囲気であった。
似ている。千早は確かにそう感じたのだった。
やや切れ長な眼の中に納まった菫色の瞳。
その瞳がたたえていたのは、決意と言うにはもの悲しさを感じさせるような強い意志だった。
彼女が瞳に浮かべた意志をあえて言葉にするのなら、自分の居場所を必死にアイドルと言う虚構の中に求めようとする
不退転の決意とでも言うべきなのだろうか。
まるで、歌の中にしか居場所を見いだせなかったかつての千早のように。
不遜な思いだとは自覚しながらも、レッスンに励む少女の姿を横目に見ながら
そう千早は思いを強めていくのであった。
トレーナーの終了の合図がスタジオ内に響いて、
緊張していた空気は張りつめていたものが弾けるように霧散した。
スタジオを出て我さきにと更衣室へと急ぐ子に、スタジオの四方に張られた全面鏡の前にドリンクを片手にへたり込む子にと
他の候補生が思い思いに動き始めた中で、あのプラチナブロンドの少女はぽつねんとそのまま立ち尽くしていた。
千早は少女に歩み寄ると、その少女の手を取った。
跳ね上がるように体を手の引かれた方に向けた少女へ向き合うと、千早は小さく少女へと会釈した。
「あの……私に何か?」
そう訝しげに視線を向ける少女に、驚かせてごめんなさいと非礼を詫びつつ
「初めまして。如月千早です」
千早は精一杯の笑顔で挨拶をする。
如月千早。その名前に憶えがあるのだろう、少女は一瞬驚いた表情を見せると、一歩体を引いて身構えた。
「……もしかして、私を嗤いに来たのですか」
気位の高い野生動物のような少女の姿に内心苦笑しつつ、
「そういう事ではないのよ。ただ、ちょっとだけあなたとお話がしたくて……お名前を、教えて下さらない」
問いかけた千早の言葉に
「四条――四条貴音と申します」
少女ははっきりと答えた。
いくらトップアイドルとは言えど、スタジオに残る人たちを早々に追い払ってしまう事は出来ない。
とは言え一向に千早への警戒を解かない貴音に場所を変えて話すこともできない――
と、言う事で千早は人の不在を確認してから四条貴音とともにスタジオの屋上へと登った。
屋上に施錠したのちに、千早は矢継ぎ早に今までの事を貴音に話した。
如月千早がこのスタジオへと来た理由、千早が貴音を見初めて声をかけた理由。
「――四条さん、あなたは今日の練習に集まった候補生たちの中でも秀でたルックスと歌声を持っているわ。そこで」
「本当に、それだけでしょうか」
千早の言葉を、貴音が遮った。
同時に投げかけられる、射抜くような視線。
「私もアイドルとしてデビュー出来るよう他の誰にも負けない研鑽は積んでいると自負しています。
ですが、今日席を同じくした候補生たちと比べて特段に秀でていると思えるほど自惚れてはおりません。
千早殿、私を呼び止めた理由は単純に技量の問題、それだけなのでしょうか」
流石に鋭いわ。そう心の中で苦笑しつつ千早は答える。
「あなたの瞳の中にね、見たのよ」
「見たとは……何のことでしょうか」
「うまく言い表せないけれど、ものすごく強固でそして少し悲しい……決意みたいなものかな」
ぱくぱくと、うまく言葉を紡ぎあぐねている貴音を尻目に千早は手近にあったフェンスへと手を掛けた。
千早の背中を追うように貴音は千早の隣へと陣取った。
「会ったばかりの四条さんには話すような事じゃないけれど。私にもそういった思いを胸にしていた事があったの」
あなたのものと比べられるか分からないけれどと笑いつつ、千早は貴音へと語りかける。
貴音は俯いたまま、ただ千早の言葉を聞いていた。
貴音を一瞥してから、千早は続けた。
「その強い思いがアイドルとしてデビューして多くの人たちに認められるまで大きな力になったけれど、同時に
多くの人と触れ合う中で心の中で重石になっていった……私の言う事、分かるかしら?」
「なんとなくですが、分かる気がしますわ」
笑いかけてくる千早に、小さく貴音は答える。
二人の間を沈黙が満たした。
二人の沈黙を割ったのは貴音だった。
「千早殿……その重責から解き放たれる日は来るのでしょうか?」
「私は四条さんではないけれど。私が四条さんの中に見たものが私のものと同じなら、きっとその日が来るわ」
俯いたままで千早に問いかける貴音に、千早は柔らかい笑顔で答えた。
「あなたを縛る決意も、きっとアイドルとしていろいろな人たちと触れ合う事で和らぐ日が来るはずよ。
ちょうど街に残った雪も、春になって溶けて行ってしまうように」
千早の言葉に、貴音はフェンスの向こうの街並みを見た。
「確信なんてないけれどね、そう私は断言してみせるわ」
千早の言葉を耳に、貴音は街に残る白を目で追い続けた。
残雪は、まだ緩む気配を見せない。