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「それじゃあもうすぐ空港行きのタクシーが出るから、ここでお別れね」
「えぇ。律子、外国は生水や食べ物が体に合わなかったりするから気をつけなさいね」
「判っているわ。千早だって私のこと食べ物に関しての用心深さ、知らないわけじゃないでしょう?」
「ふふ、そうだったわね。なら余計な忠告だったかしら?」
そう言って私と千早は眼を合わせて小さく笑いあう。
私と千早、そして春香との三人で活動していたユニット「ハナガタミ」。
765プロの新人アイドル達の活動方針にのっとり、一年の活動の後休止宣言を言い渡された私たちは
それぞれ別の道にへと進もうとしていた。
私は、アジア方面への個人アイドルとしてのツアー活動へ。
春香と千早は前任のプロデューサーとは別のプロデューサーについて、二人組のデュオとして。
私は今日成田を出発する飛行機に乗って、最初のツアー先台湾へ向かう。
日本とは、暫くの間お別れだ。
「律子さん、やっぱり離れ離れになるのは寂しいですよ、これが最後になったら、私、私……!」
タクシーを待つ公園に来てからずぅっと口を開かなかった春香が初めて口にした不安の言葉。
それと一緒に、春香は肩を震わせてはらはらと涙を零した。
全く春香ったら大げさね。そう、私が口にする前に。
「考えすぎよ春香。律子は必ず戻ってくるから」
ハンカチを手に、春香の瞳からあふれる涙を拭う千早の姿。
肩を震わせて泣く春香を抱きしめ、なだめる千早の姿を目にして、
私は胸の内から湧き上がった言葉を、知らぬうちに口にしていた。
「千早は、変わったね」
その腕に春香を抱いたまま、千早はこちらを振り向く。
「そうかしら?」
「えぇ、丸くなったと言うか。それとも、大きくなったと言うべきかな」
そう言って、私はアイドル候補生として事務所に入ってきたばかりの千早の姿を思い出す。
どことなく人を拒絶した態度。歌を自分の心の支えとし、それ以外は無駄とさえ言ってしまう姿勢。
あの時の千早は、とても不安定で脆いものに見えたものだ。
「それはね、きっとあなたたちと一緒に居られたからだと思うわ」
春香の髪をゆっくりと梳かしながら、柔らかな笑顔で千早は答える。
「私たちの事を一人前の大人として見てくれるプロデューサーが居て、一緒に歩いて行ける仲間が居て。
……律子、あなた私とユニットを組んで初めての挨拶の時に口にした言葉を覚えているかしら?」
「私が?」
はて、なんて言ったものだったっけと思いを巡らせて、私が答えにたどり着いたのと
千早が答えを口にしたのはほとんど同時だった。
「『律子』私の事は呼び捨てで良いわ、候補生になったのも同時期だしね。その代わり私もあなたを呼び捨てにするから。
そう、律子は口にしたのよね」
そうだ。私は冷淡な千早に近づきたくて、敢えて彼女に呼び捨てにすることを許したのだ。
昔を懐かしむように目を細めて、千早は言葉を続ける。
「あの時はまずはびっくりしたけれど、それからだんだんと嬉しく思うようになったわ。自分の考えに籠りがちで、
人を遠ざけようとしていたあの頃の私に近づこうって思う人は多くなかったし。
何よりあんなにフランクに接してもらうなんて事無かったから」
「そんな、大げさよ」
かぶりを振って答える私を見て、千早は笑う。
「それに、プロデューサーと私が衝突した時や、春香とぶつかりそうになった時も良く律子が
間を取り持ってくれたわね。あなたが居なければ、今の私はいなかったと思うわ。本当に感謝している」
「私はただ厄介事に首を突っ込むのが好きなだけ。大それたことはしていないわよ」
面と向かって褒められるのは正直、恥ずかしい。顔が熱くなるのが自分にも分かった。
「あなたには大したことでは無かったかもしれないけれど、私には大した事だったのよ。
お礼なんて言う機会、暫くなさそうだから今言うわ……ありがとう」
そう言って、千早は顔を真っ赤にする私に小さく頭を下げたのだ。
ひゅうっ。
まだ冬の寒さを残す初春の風が、私たちの間を通り抜けて行った。
「あれ、この香りって……」
「梅の香り、ね」
私たちの間に、かぐわしい梅の香りを残して行った。
「まだ、梅が咲いていたんだね」
「そうみたいね」
顔を上げて呟いた春香に、私は答える。
公園の隅には紅梅が、まだ枝に花を残していた。
桜と違い、梅は長く花を残し香りを与えてくれる。
「『東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ』……向こうに行っても、私たちの事を忘れないでね」
「随分と古い歌を持ち出してくるものね千早」
「『歌へ込める感情を理解するには、歌以外のものにも広く通じなきゃね』そう言ったのは確か律子よね」
「それに、遠くへ流される歌を餞別っていうのもなんだか縁起が悪いんじゃない?」
「西に行くのは同じでしょう?それに律子だって、私たちのリーダーみたいなものだったじゃない」
「随分と買ってくれたわね」
そうして千早と私はくすくすと笑った。
迎えのタクシーに乗り込み、窓越しに手を振る二人の姿を見送ってから
私はタクシーのシートに体を預けた。
これから私たちは違った道を歩いていく。今までとは、全く違ったやり方で。
それでもきっと大丈夫だって、今日の千早の姿を見て思いを強くする。
そして私だって、きっとやっていける。千早の成長を支えに進んでいける、そんな確信を抱いていた。
(了)
* * *
東方1時間SSも再開できたらにゃあ……